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西都市都於郡地区。ここには“都於郡城”という山城があった。 建武4年(1337年)に伊東祐持によって築かれて以降、佐土原城とともに伊東氏の本拠地として戦国期には日向国全域の支配に大きな影響を及ぼした。台地全体に城域が築かれ、健在の頃は“浮船の城”と称されたそうだが、伊東氏は隣接する島津氏と日向国の領有を激しく争い、元亀3年(1572年)に今のえびの市加久藤地区を舞台に繰り広げられた木崎原の戦いで敗退。以降、没落の道を辿る。その後の日向国領有は伊東氏が頼った豊後の大友氏と島津氏との間で繰り広げられていく。 太閤秀吉による島津征伐の以降は佐土原城と共に島津氏の支配下となり、江戸幕府の治世で一国一城のお達しからその役目を終えた様である。 現在、城址がその名残を伝えているだけ。それを真っ正面に見る形で都於郡の市街へと入る道路が延びている。 久々に界隈を通ったのであったが、5~6年前まで営業していた商店が閉店していたり・・・と休息に寂れてしまったようにも感じた。市街の一番奥に位置していた焼酎蔵“岩乃鶴酒造株式会社”はすでに近くにある鹿野田の工業団地に移転し、高千穂の資本の元に“西の都”という甘藷焼酎を作っている。 その痕跡は少し前までは界隈の酒屋の外壁に見つけることができた。だが、何年か続けて大きな台風が宮崎県を襲来。いつの間にか無くなってしまった様である。 先述の閉店した商店のビニール庇に“岩乃鶴”を見つけた時には「おおっ!」と思った物だ。蔵の近くにある寺院「大安寺」に舞い降りていた鶴の群れに銘をもらった酒だ。最末期に一度蔵で焼酎を購入したことがあり、また、飲食店でこれを飲む機会を得た。長く寝ていたのか、まさに甘露といった味わいであり、また、蔵の雰囲気も昔ながらの集落の酒といった感じで、素朴。好感を通り越して衝撃を感じたことが機能のように思い出される。 また、見えづらいがこの庇には「浜ゆう 白麹」のロゴも入れられている。今は「日向木挽」だが、この前身が「浜ゆう」であり、私の知る範囲では麹の違いを銘柄に表記した初の焼酎である。宮崎市高岡町にある工場で作っていたと記憶しているので、高岡からはそう遠くない都於郡地区までの営業があったのであろう。当時の焼酎勢力図を推し量るに興味深い資料である。
by minaminkaze
| 2010-01-12 21:37
| 宮崎県(児湯)の看板
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